生活の乱れ、思いの乱れ、何かの歯車が食い違い始めると、宇宙から信号が送られるという。
それは警告であり、その生活の不自然さを治すと、病気も治るという。
生活の不自然さ・・・? 今日やるべきことをしっかりやっていないのではないかと気がついた。 気づいたらすぐやることを、朝目が覚めたらすぐ起きるということは、訓練のひとつとして実践している。
しかし、もっと、もっとすばやく、直観力を信じて行動を起こしていなかったのかもしれない。
体調が優れないと、直観力も鈍るし、行動パターンに活気がない。
どちらが先か、わからないが、何となく活力が生まれてきた。
体調がよくなると、不思議と、自然に笑顔が出てくるもんだね。
感謝の気持ちで一杯。 さあ、今日から行動開始。
思いひとつ、考え方ひとつで、言葉が変わり、表情が変わるから不思議。
私が悪いのは解っているけ・・・けど・・・

大宮の氷川神社のそばに「一の家」という老舗の割烹料理屋がある。
先日、一方通行の標識がわからず、入ってしまった瞬間、バイクに乗ったおまわさんに停止を言われ、とにかく20mくらいだけが一方通行だったらしいけど、正直全く気がつかなかった。
むしろ初めて知ったことに思わずありがとうと言いたくなった。
そんな時、停める場所もなく、たまたま「一の家」さんの入口に広いスペースをみつけ、できるだけ邪魔まにならないように端っこのほうに車を停めた。 そこで切符を切られたわけだけど・・・。
問題は次の瞬間である。
一の家から飛び出してきた着物姿の女性のけたたましい一言だった。
「あなた達は何をしているんですか





「もうあと一分ぐらいですから」とおまわりさんも申し訳ないと謝りながら言ったところ。
「駄目です



その顔は引きつり、正直この世のものとは思えぬ形相

解ります。解るよ、 こちらが悪いこともさ。
人の家の玄関先に、たとえ端っこに位置していようと、悪いとは十分解っていたから、丁重にあやまったよ。
でもその形相はますます額にしわを寄せ、私の人生の中で見たことのない怖い、凄い、形相


これが由緒ある割烹料亭の態度だろうか。
思いが言葉になり、言葉が人を傷つけてしまった。
きれいな着物も、きれいな化粧も、親からもらった容姿もすべてが台無し

自分が悪いことは百も承知。おっしゃることも良くわかる。ごもっともなことでした。
でも、どこか違うんじゃないのかなぁ

私も使わせていただいたことのあるお店。サービスのよさもわかっていた。
いまだに心の中に形相が消えないんだよね。
私も気がつかないうちに人を傷つけているのかもしれない。
注意しようっと

でも、あれはないよね
