
美味しそうな「おせち」のお重です。 もう見るのもいやでしょうか?
今年もいつものように「おせち料理」の3段重を用意し、みんなで楽しむことができました。
ふと、思ったことがありました。
それは、こんなに高い値段のお重は、自分で盛り合わせればもっと安くできるはずだと・・・・。早速それなりのものを用意して、空になったお重に盛りつけました。
出来栄えは最高です! 値段? それはそれは安くできました。
今年の年末は私が少し頑張って「おせち料理」の盛り合わせをやろうと、頭をよぎりました。
ところが・・・大変な学びをしました。
確かにきれいに盛り付けられ、美味しそうに完成していました。
ところが、そこの並べられたのは、製造元が違う、味付けも違う、正にばらばらの統一性のないお重でした。
物は見栄えだけで判断してはいけないことに気がつきました。
だって、届けられたお重は、その店の信頼にかけて作られた、心のこもった美味しさがつめられていたおとにやっと気がついたのです。
本物と偽物、見掛けと中味の違いを学んだのです。人でもそうですね。 上辺を飾っていても、中味がなければ只の人。おせち料理に込められた職人の思いに感謝しなければいけないことを学びました。
これも、やってみて初めて気がついたことですね。
何でも、やってみればだめなことも学びとしてあるんですね。
「気づきには、気づきに気づく、気づきあり、気づきを磨く 目覚めの気づき」 宮内たけし